アイランドな日々

ギタリスト岡本博文のブログです

Okamoto Island10月のツアーの詳細が出ました

Okamoto Island『TOUR2014』
<Okamoto Island>
岡本博文(ギター)佐伯準一(キーボード)荒玉哲郎(ベース)
マーティー=ブレーシー(ドラムス)ヤヒロトモヒロ(パーカッション)

10月28日(火曜日)大阪ロイヤルホース http://www.royal-horse.jp/live/
開場17:00 開演19:00/21:00(入れ替え無し)
・チャージ料金:SS=3,500円 S=3,000円 A=2,500円 barcounter=1,500円
(アーティストから近い席から値段が変わってきます。前売り料金は表示の10%オフ)

10月29日(水曜日)高円寺じろきち http://jirokichi.net
開場18:30開演19:30
前売り¥3800当日¥4200

10月30日(木曜日)名古屋ミスター=ケニーズ http://www.mrkennys.com
開場18:30開演20:00
前売り¥3500当日¥4000

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Okamoto Island淀川花火大会は中止、、。

8月9日記す。

本日の淀川花火大会は、台風のため中止になりました。予約された皆さま。申し訳ありません。予約の分の返金は、なされるそうなので、時間はかかるとの事ですがご安心下さい。

下の写真は、今日の予約席。ちゃんと机も用意されていた。

朝、大雨の中「それでもやるかもしれない」と一旦、時間通りにプラザ大阪に集まった。しかし、集合時より以前に中止の連絡が入ったのです。みんな集まった時は放心状態。気をとりなおして、プラザ大阪の美味しい中華料理をいただいた。

来年はやりたいな
 

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Okamoto Island神戸

 

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8月8日記す。

昨日は、神戸のクルーズ船ファンタジー号のライブ。一階はライブ、2階は、シャンパンでパーティーと言うフリーな形。当日、キャンセルされた方も居たんですが、気にせず乗られた方が良かった。残念。すごく凝った趣向の一日だった。


海は心配するほどでもなく、屋内はちゃんと演奏出来るし、デッキも涼しい。夕暮れ時は夕日がでなくとも、神戸の街の明かりが点灯して行く様がグラデュエーションになり、演奏中に思わず船外を見るほどでした。神戸の夜景は見どころ有ります!その時間に合わせてObyan Bayを演奏した。

二十歳そこそこの女性メンバーが、機関やデッキをまかされ、老若男女のスタッフがじつにきびきび動く。しかも笑顔なんです。う〜ん。夢を売る仕事なんやね。ステージ後ろに海の動画。照明も凝ってる。客席には風船の椰子の木。

とっても手間のかかったイベントだった。100人程度のお客さまで船は賑やか。元タカラヅカの彩ひろみさんの歌有り。最後はダブルアンコールの盛り上がり。お陰で社長さん、上機嫌で接待シャンパン飲み過ぎ、打ち上げの挨拶で「オカモヒャアイランジョ」「オカムニョアイランデゥ」と最後までうちのバンド名言えず。この日の良い雰囲気を象徴した感じでした。

最後はみんなで記念撮影!

Okamoto Island広島

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連日、長い一日が続いています。一昨日の広島のレポート。
スマトラタイガーは、超満員。音も良く、とても楽しく演奏した。
ここのところ、TOUCH OF GROOVEとOkamoto Islandの意地とプライドの張り具合が、とってもいい結果になってる気がします。

ToGのメンバーとのうちあげの模様。スマトラタイガーから薬研掘通りにでてすぐの『勝っちゃん』のお好み焼き、最高!やおぎも、最高!そして、各所で広島人特有のほぼ怒鳴り声と同じレベルの笑い声が。

広島人は、普段から声は大きいが、酒が入ると15db音量が上がります。
まあ、基本でしょう。(笑)
連日のライブもあり「サッと済まそう」と言ってた割には、きっちり飲みました。

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Okamoto Island京都

原爆の日。母の話しは、FBにて、8月10日現在、780イイネ、290件のシェアがありました。ありがとうございました。

8月6日記す。Okamoto Island京都公演。


初日があけた。別に世界平和の為に演奏するなんて訳ではない。し
かし「めんどくさいな。じゃまくさいな」という言葉を、一旦、封印してつきあってくれる仲間が居て、演奏が始まればベストを尽くして、前間違えなかったところを間違えたりしても、今まで自分たちになかったサウンドが付け加えられて、自分たちやその場に居た人に幸福感や充実感が広がるなら、「良いじゃないか。幸せな一日じゃないか」と思う。

昨日のOkamoto Island。とくに2部のほうは何か幸せ感がありました。
早朝から、神戸、淀川の為の仕込みリハから始まり、長い一日だった。でも大丈夫。すこし早く寝て、ちょっと早起きして、広島に移動。
さて、今日も良い演奏をしたいと思います。f:id:okamotoisland:20140810030510j:plain

August 6th Hiroshima

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I am telling my mother’s Hiroshima story. 
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On August 6. My mother was in Yasufuruichi; evacuated from Hiroshima. She saw a large mushroom cloud rose that morning. She felt something like light burn on the cheek She was is viewing it supposing from long distance away, but later recognized that was indeed a burn. 
Later, people who had serious injuries had been poured; that made her very scared. Her dad pulls a two-wheeled cart in the evening, and said “ Mom (his wife) was having hard-time." When she asked what’s going on, he told her that he had to run over corpses all the times as they are all over the place and he could not them. That made her so scared and she cried she did not want to go back to home. Her house was located Ujina which was on a harbor town across the river from Hiroshima. Her house was spared as the river had stopped the fire. 
In Senda-machi, her mother was exposed from on the roof of a private house during her building evacuation, she could not move when she finally reached her home. She had to keep shouting “It is me!” in order to tell her family she was home as her face malformed so much like a ghost therefore people could not recognize her
When my mother was trying to cut the burnt saggy skin of her mother and put burn medicine she got in a milk bottle, her mom said that "Additional bomb attacks may happen, save the medicine" My mom scolded her mother and treated her crying. Her mother passed away in a few days. 
Than the tons of people like monster came to Ujina elementary school, begging “water please." She gave water to these people, then they all died. They burned mountains of corpse. It smelled. The heads were falling off as they were burned. That elementary school teacher grabbed her fearful shaky hands and said "Do this way!" and demonstrated proper way of handling fallen heads using the tongs and placed them on the top of the bodies. Her father started complaining that he feels dull, tired and exhausted; her dad passed away following year. 
Among people living in Hiroshima, I do not talk story like this; it is common situations among the residents. People in Hiroshima do not want to remember, talk nor brag story. So, No one speaks. They just say, "It was very hard". 
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Up to 18-year-old, I lived in Hiroshima, and I thought surely August 6 is the day Japan is saddened and pray for peace. But outside of Hiroshima, August 6 is just another ordinary day. 
In the hot sun beaming, piles of dead bodies were built in 3meters (10 feet) apart, then burned simultaneously. Such a sight was daily repeated for a while from that day in the southern part of Hiroshima. If today is your garbage collection day, imagine that mountain of garbages had been all human corpse. It will be real surreal horrible sight. 
After all, no atomic bomb or war will achieve any good. I want you to tell your children avoid war by all means. I want all governments and organizations believe in "Not engaging warfare; not letting warfare happening” is the ultimate welfare of the all people.

Naomi Nishimura san. (translation) Thank for your cooperation.

8月6日、広島原爆の日に寄せて

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うちの母の話しです。母は、8月6日は安古市疎開していたそうです。朝、大きなキノコ雲が上がった。非常に遠くから眺めたはずなのに、後で気付くと頬に軽い火傷みたいなものが出来てたそうです。 

そのうちドンドン大怪我をした人が運ばれ始め、これは大変に違いないと思ったそうです。夕方お父さんが大八車を引っ張って、やってきて「おかあさんが大変だ」と言う。 「どうじゃった」と聞くと「死体が一杯でさけられんから、いっぱい轢いてやってきた」言う。それを聞いて怖くなり、「帰りたくない。」と泣いた。 僕も育った宇品は港町で、川を挟んで延焼はまぬがれたんです。幸い家は無事だった。

おかあさんは、千田町で、建物疎開中に民家の屋根の上で正面から被爆し、おばけのようになって、家に帰ったら動けなくなった。家に着いた時「私よ。私」と言わないとわからなかったらしい。 

垂れ下がった皮膚を切り取り、牛乳瓶にいっぱい火傷の薬をもらって来て、付けようとしたら「また、爆弾が来るかもしれんから、とっておきなさい」と言う。「何言うとるん」と叱って泣きながら塗った事。 

数日後に亡くなった事。 

宇品小学校にはお化けのような人がいっぱい来て「水をください」というので、あげたらみんな死んだ事。死体を山にしてそこで焼いた事。臭かったこと。焼いていると次々と頭が落ちて来る事。火箸でおそるおそるつまんでいると小学校の先生が「こうやるんじゃ」と手で掴んで上に乗せた事。おとうさんがだるいだるいと言い始めて、翌年無くなった事。 

広島に住む人の間では、こういう話しは珍しい話しではないんです。思い出すのも嫌だし、自慢する話でもない。だから、誰も話さないだけ。「大変じゃったんよ~」と言うだけ。 

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広島に居た18歳まで。8月6日は日本中が平和を祈って悲しみに包まれる日だと、てっきり思っていた。ところが広島以外で迎える8月6日のなんと普通な日であることか。 

暑い日差しの中。3mごとに死体の山が築かれ、一斉に燃やされた。そんな光景が広島市内の南部では今日からしばらく繰り返されたんです。今日がゴミ収集の日の人は、そのゴミの山がすべて人間だったと想像してみていただきたい。なんとシュールな光景でしょう。 

やっぱり、戦争も原爆も良いはずがない。人の親なら戦争だけはいけないと、自分の子供に伝えて欲しい。そして、あらゆる公共団体が「戦争をしない、させない」ことが最大、最後の福祉だと思って欲しい。