アイランドな日々

ギタリスト岡本博文のブログです

8月6日、広島原爆の日に寄せて

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うちの母の話しです。母は、8月6日は安古市疎開していたそうです。朝、大きなキノコ雲が上がった。非常に遠くから眺めたはずなのに、後で気付くと頬に軽い火傷みたいなものが出来てたそうです。 

そのうちドンドン大怪我をした人が運ばれ始め、これは大変に違いないと思ったそうです。夕方お父さんが大八車を引っ張って、やってきて「おかあさんが大変だ」と言う。 「どうじゃった」と聞くと「死体が一杯でさけられんから、いっぱい轢いてやってきた」言う。それを聞いて怖くなり、「帰りたくない。」と泣いた。 僕も育った宇品は港町で、川を挟んで延焼はまぬがれたんです。幸い家は無事だった。

おかあさんは、千田町で、建物疎開中に民家の屋根の上で正面から被爆し、おばけのようになって、家に帰ったら動けなくなった。家に着いた時「私よ。私」と言わないとわからなかったらしい。 

垂れ下がった皮膚を切り取り、牛乳瓶にいっぱい火傷の薬をもらって来て、付けようとしたら「また、爆弾が来るかもしれんから、とっておきなさい」と言う。「何言うとるん」と叱って泣きながら塗った事。 

数日後に亡くなった事。 

宇品小学校にはお化けのような人がいっぱい来て「水をください」というので、あげたらみんな死んだ事。死体を山にしてそこで焼いた事。臭かったこと。焼いていると次々と頭が落ちて来る事。火箸でおそるおそるつまんでいると小学校の先生が「こうやるんじゃ」と手で掴んで上に乗せた事。おとうさんがだるいだるいと言い始めて、翌年無くなった事。 

広島に住む人の間では、こういう話しは珍しい話しではないんです。思い出すのも嫌だし、自慢する話でもない。だから、誰も話さないだけ。「大変じゃったんよ~」と言うだけ。 

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広島に居た18歳まで。8月6日は日本中が平和を祈って悲しみに包まれる日だと、てっきり思っていた。ところが広島以外で迎える8月6日のなんと普通な日であることか。 

暑い日差しの中。3mごとに死体の山が築かれ、一斉に燃やされた。そんな光景が広島市内の南部では今日からしばらく繰り返されたんです。今日がゴミ収集の日の人は、そのゴミの山がすべて人間だったと想像してみていただきたい。なんとシュールな光景でしょう。 

やっぱり、戦争も原爆も良いはずがない。人の親なら戦争だけはいけないと、自分の子供に伝えて欲しい。そして、あらゆる公共団体が「戦争をしない、させない」ことが最大、最後の福祉だと思って欲しい。